Recent Comments

Recent Trackbacks

« 東海アドベンチャー・小岐須からゴールへ | Main | 11月2日・紀州街道・熊野古道二日目・湯浅まで »

11/07/2008

11月1日~3日・紀州街道と熊野街道ジャーニーラン

11月1日
8時に大阪市中央公会堂前を出発、淡輪と湯浅に宿泊して3日に和歌山の南部(みなべ)にゴール。

いろんな所を観光しながらののんびりジャーニーランです。
1744tyuuoukoukaidou
一日目、
秋晴れの朝、中央公会堂の前からスタートします。
ぞろぞろ、なかなか走り出そうという感じも無く、まるでウォーキング団体です。
今日の高低の地図には14km先の大和川までしかコースは決まっていません。                                          

                                      

 
一緒に送られてきた明治時代の地図を参考に、その先、一日目のゴールの淡輪まで自分でコースを考えて行くのです。
昨日は全く一睡もしないばかりか、横になることも出来ずに参加しました。 かなり前から送ってくれていた地図なのに、予習しないまま参加前日となってしまい、荷物の準備などで追われ、地図の準備をしていたら朝になってしまったと言うわけです。

睡眠も横になることもしないでの参加は、不思議と眠気は大した事無かったのですが、身体全体にはこたえるものでした。
やっぱ、歳ですねぇ。

土佐堀に沿って東に少し行き、八軒屋跡手前から南に入ります。
「熊野街道」の道標が所々にあります。
大阪市も歴史のある街です。
秀吉候が築いた下水道も残っています。
もちろん地下なので普段は目にすることはありませんが、ちゃんと今でも水が流れているのです。
一部見られるようにしている所があり、のぞいてきました。

1850nanasaka ○笠さんが詳しいみたいで、ガイドしてくれました。
次は、上町台地の七坂めぐりです。
大阪市内はマッ平らなように思われがちですが、昔海だった部分と陸地との名残のような地形が残っています。
さらに、上町台地と呼ばれる辺りは小高く、坂道には一つ一つ名前が付けられています。

                                                   

  197nanasaka                                              

1926sekireizaka

                                             

                                              

                                         

                            

1915 谷町六丁目辺りから九丁目にかけてお寺がぎっしり建てられています。
一角に、重要文化財の塔があります。
大阪大空襲で周りが焼け野原になってしまっても、不思議にこの塔だけ焼け残ったそうです。
○笠さんは、街道を南から上って来ると、真正面にこの塔が目に入って感動的だったと言っていました。                                 

石の坂や、階段状の坂、お寺の中の坂、登ったり下ったりし、大阪市で唯一の自然の滝があるというので見に行きました。
清水寺の中にありました。
三本の細い湧き水のような滝でした。

1940tuutenkaku 天王寺公園の横を通り、通天閣の下、じゃんじゃん横丁を抜けていきます。 朝から立飲み屋が開いていて、すでにお客がそこそこ入っていて、もうできあがってる人も居たのにはみんなびっくり。

酔っ払いに冷やかされながら抜けていきます。

やがて、住宅地の中で、主催者の○塚さんが学生時代にお世話になったという賄い付きの下宿屋のおばちゃん(今はおばあさんになっていましたが)に会い、感動の再会です。
走る皆さんへということで、ソイジョイや飴の差し入れをいただきました。                                          

コースは真っ直ぐ南に進み、住吉大社を経て、大和川を渡ります。
観光モードだったので、ここまでで約3時間もかかっています、後がたいへんです。

地図に記されたコースはそこまでで、14km地点、大和橋から先は明治時代の地図を参考に自分で考えたコースを進みます。
熊野街道を進んだ人達も居たようですが、今回のテーマ通り、わたしは旧紀州街道を辿っていきます。
阪堺電車(路面電車)に沿って真っ直ぐな道を南西に進むと、与謝野晶子の生家跡や利休の屋敷跡などがありました。

与謝野晶子の生家は今の広い道路の向こう側まであったという事など書かれていて、改めて、大きなお家のお嬢さんだったんだなぁと思いました。

電車の軌道にはコスモスの花が植えられていました。
11時、お腹が空いてきました。
ちょうど目の前に現れたコンビニでみんなで昼ごはんにしましたが、少し進むと、「銀シャリ屋」と書いためし屋さんがあり、良い香りを漂わせていました。 客入も多く、美味しそうで、「もうちょっと我慢してここに入ればよかった~」と、みんなため息でした。

御陵前からは住宅地を進みます。
お地蔵さんが奉られていたり、紀州街道と彫られた標石があったり、目印はあるものの道は曲がっていたり少し複雑になっていたり、気が付くといつかずれてしまっていたりするので、軌道修正しながら進みます。

やがて、阪堺電車終点の浜寺公園駅です。
沿って走っている南海電車の浜寺公園駅はレトロな雰囲気なのでちょっと寄ってみます。
浜寺公園は松林で埋め尽くされたような感じの公園ですが、道路からはその様子があまりわからず、残念です。
道路から住宅地の道に入ります。
明治時代の地図と照らし合わせると、きっとこの道が旧紀州街道なのだろうと赤色鉛筆でコースを作ってきました。
地図の社寺や学校などのマークや町名を目印に軌道修正しながら行きます。
いつしか一人旅になっていました。
地元の人に話しかけられたり、応援してもらったり。

旧国道を行けば簡単だけれど、それではただのマラニック。
せっかく明治の地図まで送ってくれているのだから、間違いながらも旧紀州街道を頑固に進みます。

朝、観光がてら走ったり歩いたり、だらだら進んだので、かえって足が疲れてしまい、岸和田辺りではだるくなりました。
岸和田城跡を見て、また街道に戻ります。
旧国道と阪神高速湾岸線の間の住宅地をぐにょぐにょ曲がりながら進みます。
明治時代には南海電車がすでにあったらしく、位置が読みやすかったです。
今の地図と見比べるのはとても興味深く面白いものです。
昔の紀州街道は南海電車の海側でほとんど海辺というかんじです。
たいていの地名は村です。
高石村、大津村・・・。
集落と集落の間は家が途切れていて、他は田圃、泉南地方はため池がかなりたくさんあったようです。
今はぎっしり利用されているけれど、昔は山だったり、地形も明治の地図だとよく解ります。
途中でえっちゃんと○塚さんに合流し、しばらく三人で走りましたが、トイレに立寄ったのでまたりんくうを過ぎた辺りから一人旅になりました。
宿泊地は淡輪の龍宮館、宴会時刻は19時30分、それまでに着いてお風呂に入ってさっぱりし、洗濯もしないといけないので、夕方になってくるとちょっとあせります。

日が暮れるのが早くなったので、途中で暗くなりました。
「とっとりのしょう」という駅から、「はこつくり」まで、国道を走りました。
箱の浦の団地の辺りも国道走りです。
やっと淡輪の駅。
龍宮館はわかるかしら?と思いながら行くと、交番の近くに看板が掲げられてあったので、迷うことなく行けました。
龍宮館は小高い丘の上にあり、景色がよく見えそうなところでした。
19時ちょっと過ぎに到着。 約60kmくらいかな~?

ここは宿泊に1万円、民宿ではなく旅館です。
お料理は旅館らしい少し凝ったものも出ていましたが、無愛想なのにはみんなびっくりしていました。

でも、東海アドベンチャーのように、ゴールしてから自分の寝床をこしらえて、コッヘルで自分の食料を用意しないといけないのに比べると、(キャンプや自炊も楽しいけれど)、上げ膳据え膳、お布団敷いてもらって楽チンで快適です。

申し込むのが遅かったペナルティーで、食後、私は集金係です。
洗濯物がよく乾くようにエアコンをつけて寝ます。

« 東海アドベンチャー・小岐須からゴールへ | Main | 11月2日・紀州街道・熊野古道二日目・湯浅まで »

ジャーニーラン」カテゴリの記事

February 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

jognote

無料ブログはココログ