母との別れ
記事の日付は前後しますが
母とこの世での別れをしました。
その朝、母は少し吐く息が「はっはっ」と言う感じでしたが、静かに穏やかな表情で眠っていました。
身体や顔をお湯で拭いて、熱が高かったので、氷を入れ替えてあげて、静かに眠り続ける母に、また仕事終わったら来るよ、と言って別れました。
4月の終わり頃、急変してからも、食事が美味しいと言って元気になりそうだったり、足腰が利かなくなっても、意識ははっきりしていたのです。
母の具合が急に悪くなり、いきなり寝たきりになってしまってからは、ほとんど眠っていて、目を覚ましても、すぐにまた眠ってしまいましたが、亡くなる前の日は長い時間覚醒していて、見舞いに来てくれた旧友に嬉しそうな表情を見せていました
急変する直前まで、ごく普通に生活できていた人なので、いきなりの介護保険の認定は間に合わなかったけれど、暫定的にサービスが受けられるようになり、亡くなる数時間前に介護ベッドが届いたり、巡回看護師さんが来て、身体を拭いてくれたりしました。
私が仕事中に、何やら、母の匂いがするなぁ~?不思議だな~?もしや??と思っていたら、兄からの電話で、母が天に召されたことを告げられました。
するはずの無い母の匂いは、不思議とその兄からの電話以来しませんでした。
あの時、母は私の近くに来たのだと思います。
実家に帰って、動かなくなった母に対面して、顔が自然にほころんで、「笑ってる~」と言ってしまいました。
ほんとに、ニッコリ笑っているので、泣く気にならなくて不思議な感じです。
兄も、母の死顔を見ると、笑った顔なので、涙が出ないんだよと言っていました。
と言いつつも、悲しくて悲しくてやがて涙が溢れてきましたが。
そのままでも充分綺麗だけれど、お化粧してあげて、と言われたので、薄化粧すると、容態が悪くなる前のいつもの母になりました。
これが亡骸だとは思えないくらい、活き活きした表情です。
ほんとに笑ってるよ…
私があの世に行けるまで、しばらく会えなくなると思うと、寂しいです。
母との思い出を想うとき、溢れるほどのたくさんの楽しいことが後から後から出てきます。
母は父に、自分の人生は幸せだったよ、と語っていたそうですが、この人の娘に生まれてきて、私もとても幸せでした。
四月の上旬、私の娘達と私と、父母で、レストランで食事したのがうそのようにさえ感じます。
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