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ジャーニーラン

04/24/2010

3月13日・14日 初瀬街道(名張から伊勢内宮)

13日、仕事先の社員が退職するので、社長夫人が送別会を開いて御馳走してくれた。
私は夕方から14日にかけて、桜井から初瀬街道を走る予定だったけれど、他に都合の良い日が無いと言うので、送別会に出て途中から初瀬街道の皆に合流することになった。

箕面船場繊維団地の端にアジアンダイニング(お店の名前忘れた)がある。
気の張る店ではないので、走る格好のまま行った。

飲み放題、食べ放題。 だって、社長のおごりだから。
一品料理を次々にお値段気にせず注文する。 お酒も次々お代わりする。
中華料理っぽいのもあり、ベトナム系もあり、インド料理もあり、まさにアジアンダイニング。
味はとてもGood。 
どれをいただいても美味しく、いくらでも食べられる。
特に、野菜は箕面の自家農園で有機栽培されたものだから美味しいし、ふんだんに野菜が添えられている。

お腹いっぱいいただいて、デザートまでお付き合いできなかったけれど、後ろ髪引かれながら先に出て千里中央駅に向かう。

なんばから近鉄大阪線特急に乗る。
梅○さんから連絡が入る。19時17分、榛原のコンビニだという。
さすが、皆さん快調なスタート。
ちょっと心配になる。 ついていけるかなぁ??

誰が参加しているのか、○西さん、○倉さん、梅○さん以外解らないし。

名張に21時24分に到着、走っている人たちはまだ少し手前だったので、逆走して合流することになった。
駅前のコンビニでおやつなど買ったが、ご飯ものを食べてなかったのでお腹が空いて、買ったパンを2個食べてしまった。

去年、梅○さんと初瀬街道の下見に来た事があったので、一人でも名張の街を抜けるのに不安は無かったし、逆走ものん気にやっていた。
その頃、梅○さんは「ちゃんと合流できなかったら走って探し回らないといけないかも・・・」と心配してくれていたみたい。
ちゃんと下見の時の地図、持ってきてると言ってたのに、信用ないなぁ。

参加メンバー見て心配が現実になりそう・・・
桜井で集合だったのに、大阪から走ってきた人もいた。

名張から3km手前のコンビニで合流。
みんなと再び名張の街を通る。

伊勢街道の道標を確認しながら進む。
地図を確かめたりでゆっくりペースなので助かる~。
今回、大きな地図を作ってくれているので少々暗くても見やすい。
ヘッドライトは一番明るいのを着けて来た。
ブラックダイアモンドのIcon、バッテリーが単三電池3本なのでけっこう重い、首が凝るけれど、最近は慣れたのか、さほど苦にならなかった。
初めてこれを着けて走ったときは、しばらく頭がクラクラしたけれど。

名張を過ぎ、コンビニで休憩。
コンビニの外で座り込んで食べたりしていると、パトカーが来てしばらく私たちのほうを観察していた。
パトカーには警官が三人も乗っていた。
しばらくいて、職務質問もなく行ってしまった。

桔梗が丘の辺りは旧街道は残っていないようだ。

青山町のコンビニで休憩。

先はだんだん民家も少なくなり、登坂。
青山川に沿って道路を登って行く。
空は晴れて、満天の星にため息が出る。
久しぶりに真っ黒い夜空とたくさんの星を見た。

道路は歩道もないが、めったに車は通らないし、車が来たら音ですぐにわかるほど静かだ。

道路わきに土道に入るように地図に記されているが、途中で道が荒れて通れなくなっていた。
ここは昨年の下見のときにも通れなかった。
何とか通る道が無いかと探って、山の上まで行ってみたけれど、鉄塔の点検道しかなかった。

道路に戻って青山峠を目指す。

道路の上を近鉄線の新設された立派な鉄橋が通っている。

道路の上に西青山駅がある。

近鉄電車はここから長いトンネルに入る。

東海自然歩道の陸橋をくぐり、しばらく登る。
車道のトンネルの手前から旧道に入り、だんだん傾斜が急になる。
真夜中なのにこの旧道を通る車に出会った。
びっくりしたが、車のドライバーの方こそ私たちの集団にびっくりしただろうと思うとおかしかった。

青山峠から車道のわきに土道の下りが始まる。
再び道路に出てしばらく進むと、長い長い地道の下り。
道幅はそこそこ広いが大小さまざまな岩や石ころで歩くのがやっとの荒れた道だ。
何度も脚をぐねって捻挫しそうになる。
道が九十九折れになっているので、足元に気を取られていると道が曲がっているのを見落としてしまいそうになる。

デコボコを下ったらほっとした。
垣内宿の集落を過ぎて垣内宿コンビニで休憩する。桜井から57.3km、私の走行は33,3km。

津市に入り一志町を通る。
伊勢までずーっと平坦な道になる。
雲出川沿いから離れ一志町の町を通る。 昨年、下見に来た時に、一志町の温泉に入りかわいたかおか駅から帰ったのを思い出す。
駅前に24時間営業のマックスバリュがあるが適当な飲食店が見当たらず、やっと焼肉店を見つけて食事して帰ったことなど、松○さんと話しながら通り過ぎる。

土手に土筆が生えていた。
「中○さんに土筆があるって言ったら「摘んでいこう」なんて言うかもしれないね~」とうわさしたり、のんびり早朝の集落を行く。

途中、初瀬から約70kmと書いた木の看板があった。

嬉野町中川の宿場町は良く栄えた様子がうかがえる。
長く続く宿場町、今も昔の風情を残している。
ここに住んでいる人たちは歴史の残る街道の風情に誇りを持って残しているように思われた。

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軒の下には、屋号が書かれていたり、昔のその家の職業がわかるように看板が掲げられていたり。

昨年、7月の赤福ついたち餅を買いに夜中に走ったときは真っ暗で、ゆっくり見ていると置いてきぼりになりそうだったけれど、今回は皆さんゆっくりと鑑賞し、街道を楽しめた。

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8時30分。
宿場街の古い家の資料館のような家があり、時刻は会館より早かったけれど特別に中に入れてもらって見ることができた。
しばらく、古い家の中の様子や、お雛様を楽しませてもらった。

街道らしい道や畑の中の道、道路、いろんな所を通る、途中で道が無く、通れなくなっているところもあり、迂回したり・・それも楽しい感じがした。

松阪、まつがさきの駅近くにコンビニがあるというので国道に出てみたら廃業していた。
少し戻ると別のコンビニが見えたが、戻るのは皆さん嫌なようで、ミスタードーナツで休憩。
ほんとは、トイレ休憩だけでよかったんだけれど、トイレだけ借りるというわけにもいかず、ドーナツを食べて休憩となったのだけれど、ちゃんと休憩するのもリフレッシュになって良かったみたいだった。

松阪の市街地を通る。
信号の変わり目で先に行く人たちとはどんどん離れてしまったが、まぁそれはそれで気が楽かな。

もう伊勢神宮は近いしマイペースでのんびり行こう。

梅○さんが心配して待っていてくれたけれど、一人になっても大丈夫だからと言って先に行ってもらう。

11時48分、伊勢市に入る。

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12時26分、テクテク走って、宮川橋を渡る。
急ぐ事は無い、たしか、最終ゴールの打ち上げ会は16時だったはず。

伊勢神宮外宮は観光客で賑やかな感じだった。
砂利道をいくと、砂埃いっぱいと言った感じだった。

しばらくのんびり外宮の周辺を歩いて、内宮へ向かう。
もうトップの人たちは内宮を見て、引き返して来るくらいかも??なんて思いながら、「引き返してくる人たちとすれちがうのかな~」
「ひょっとしたら、内宮から伊勢駅前まではバスかなぁ?」とか思いながら走って行く。

内宮まではちょっとした坂道を越さないといけない。
途中まで走って登ったけれど、急ぐ必要もないので歩く。

内宮の近くに来ると、さすがに、すごい人・人・人・・・

門前の土産物屋の並ぶ参道は歩いてもなかなか思うように進めない。

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梅○さんにメールした。
自分のいる位置をメールした時、私は皆はもう伊勢市駅の方に移動する頃かな?と思っていたけれど、実は、同じようにこの人ごみの中を、やっと内宮の宇治橋に着くか着かないかという辺りだったらしい。

13時50分。
内宮の新しく架け替えられた木の橋の袂で、写真を撮っていると、梅○さんに呼ばれた。
中○さんは爆睡していた。
松○さんはビール片手に休んでいた。
他の皆さんは、内宮の中まで参拝に行っていた。

やがて全員集合し、タクシー分乗して伊勢市駅近くのお風呂屋さんに行った。
まみさんは急ぐからと、内宮で別れ、帰られた。

楽しい初瀬街道マラニックでした。

桜井から120km、わたしの走行距離は95km。

01/21/2010

11日旧山陽道・井原(七日市宿)から尾道

朝ご飯はホテルの息子さんが忙しそうに給仕してくれて、ご飯とお茶くらいがセルフ。
生卵がついてきて、久しぶりに卵かけご飯でツルツル、お代わりして朝からお腹いっぱい食べてしまった。
夜は夜で、たくさん食べてビールを飲んで、旅を重ねるだけ太ってしまいそう~( ^)o(^ )
今日は尾道まで38km、あまりゆっくりしていると帰宅が遅くなると言うので、7時30分、昨日より30分早くスタートした。

曇り空、夜には雨になるかも。
道路の歩道のコンクリートの杭には那須与一の鏑矢を射る姿が飾られていた。
山手の方に那須与一の墓があるらしい。

七日市から尾道までのコースは常夜灯が細かに設置されていたようで、自然な形を生かした常夜灯がたくさん見られた。
いろんなユニークな形の常夜灯があり、常夜灯を見るだけでも興味深い。
台座が、まるで脚付きの巨大コンポート(盛り皿)みたいな灯篭があった。 先に進むと、灯篭の屋根の石の上の飾り石がとても大きいもの、まるで魔法使いのとんがり帽子みたいなもの、灯りをつけるところが木でできている物など。

古そうな立派な屋敷の横に、野外ギャラリーがあった。
野菜をモチーフにした写真作品と実際の野菜が展示されていて、道端の敷地なので誰でもゆっくり鑑賞できるようにしていた。
作風は野菜の断面などを利用して自然な色を組み合わせたほんわかした感じのものだった。
井原鉄道はずーっと高架のコンクリートを見せていた。
たまに一両でコトコト走るだけなのに、あれだけの高架線路の建設費用・・・よく造ったものだなぁと思う。

8時25分、高屋宿に入る。
中国地方の子守唄、「ねんねこしゃっしゃりま~せ・・・」の発祥の地の説明板があった。
「あれえ?その先の節どんなだったかなぁ?」と言うと、○野さん岡○さんが二人で歌ってくれた。

やがて、備後と備中の国境の碑。
1時間かかって、やっと1里・・なんとものんびりの旅だ。
静かな旧街道、たまにゴーと伊原鉄道の電車が通っていく。 まるで珍しい物を見るかのように皆で、「電車、走っていくよ~」と。
ガタゴトという感じではなく、新しい高架の上の線路を滑るように滑らかに進むので、そこそこ速度がありそうに見える。

途中の集落で、御餅つきの準備をしている家があった。

石の常夜灯は屋根の石の上に3段の小さな灯篭が着いたようなものがあった。

田圃の中でとんど焼の藁の山が作られていた。
竹の木を軸に藁を積み上げ、大小二つ、その藁に各家々から持ち寄ったしめ縄をくくりつけ、燃すのがこの地方のとんど焼き。
この辺りは今でも各集落ごとに準備されて行われているらしい。

9時45分、神辺宿に入る。
「廉塾跡」があり、敷地と土塀が残されていて、敷地は家庭菜園に利用されていた。
写真を撮る私の後ろから、「ようこそいらっしゃいました」と声がかかり、びっくりして振り向くと、廉塾跡地の反対側にテーブルが用意され、その奥で炭火で御餅を焼いたりしている人達がいた。
おぜんざい食べて行きませんか?ぜひ、どうぞ。とお誘いに甘えて、焼きたての御餅入りの小豆たっぷりのおぜんざいとたくあんをいただいた。
今日は井原鉄道100円Dayという事で、一回乗るのに100円で乗れるとか。 そのサービスを利用して、旧山陽道を歩く人達が大勢来るという。 それでおぜんざいなど用意して歓待される、丁度そこへ一番乗りしたみたいだった。
ボランティアガイドの方も数人いらっしゃって、その一人が昨年のNHKの「街道を行く」という番組でシンクロの選手だった奥野さんの案内で出演した方だった。

親切に案内してくれた。
篤姫が江戸へ行く再に本陣とした屋敷も残されていたが、興味深かったのは、黒田藩は独自で指定本陣が別に有ったということ。
ちょうど、休日と土曜日だけ公開していたので、黒田藩ご指定の本陣屋敷を見せてもらった。
奥の庭には大きな大きな銀杏の木があった。

反対側から大勢歩いて来る人たちとすれちがって街を出た。

10時55分、芦田川を渡る。
「地神」と彫られた石がしめ縄で飾られあちらこちらで見られた。

山手一里塚を過ぎ、スーパーやドラッグストアなどが集まったショッピングエリアでトイレを借りる。
そのエリアから出る時に、入った所から出ずに横から出た。
少し道が違ってしまったようだ。

みんな気付かないまま進むと、小さな神社があり、とんど焼きが終わったところだったが、お神酒の振るまいがあるようだったので神社に立ち寄り、樽酒をいただいた。13時45分ころ。

お酒には反応の早いメンバーだ。
匂いを嗅ぎつけるというか・・・・
神社を出てから、お神酒の味を評したり・・、小さいながらも樽酒で美味しかった。

山を少し上った所に学校が見えた。
私たちはどんどん登って行ってしまっていて、ようやく旧山陽道と違う事に気がついてコースを修正した。
でも、道を間違わなかったら先ほどの神社でお神酒をいただいたり出来なかったのだし、まぁ良いか!と納得した。

14時10分、今津宿脇本陣跡を過ぎる。

20km地点の津之郷の一本松は現存していなかった。
14時16分、尾道市に入る、といっても、まだまだゴールの尾道の町までは17、8kmくらいある。
国道を通ると道路標識に「しまなみ海道」の案内が。
西瀬戸自動車道のインターあたりは旧街道が潰されている。
峠を登る。
国境の碑と番所跡を過ぎて下っていくと、しまなみ海道、新尾道大橋の上部が見えた。
尾道の市街に入る。

旧街道ではなく、ここはせっかくなので寺巡りの道を行く事にした。

写真を撮りながら進んでいくと、「西国寺」の門前でボランティアガイドをしている人に出会った。
何処のお寺に立ち寄るという予定も知識も持たずにただ歩いてきょろきょろしていたので「これは、ちょっと案内してあげなくては・・」と思われたのだろう。

西国寺に行くのかと問われたけれど、「いいえ、特に決めて無いんです」と言うと、「西国寺は脚の疲れや故障に御利益があるんですよ」と言われたので、「じゃぁ」ということになり、西国寺に立ち寄ることにした。

参道は立派な石畳、山門には大きな大きな草鞋や大小いろんな草鞋が釣られていた。
この草鞋に手を触れて、足腰の痛いところを擦ると良くなるのだとか。
本堂の方へ登るのは石の階段だったけれど登ってみると、尾道が一望に出来そうなほど眺めが良かった。
尾道水道もよく見えた。

尾道で出会ったボランティアガイドさんによれば、尾道はお寺巡りだけでも一日では無理、2日かかるとか。
たくさんお寺があるだけではなくて、階段や坂道ばかりでとてもきつい道ばかりだから。
尾道で宿泊するなら、街のホテルではなくて向島の民宿が良いですよと教えてくれた。
食事も美味しいらしい。
獲れたてのお魚料理がたくさん出るのかな?

西国寺の境内には桜の古木がたくさんあった。
春と夏は半年前くらいから予約しないと宿はいっぱいらしい。

細い路地、階段が建物を縫うようにして「寺巡り」の道は石畳になっているし、道標もあるし、海と山に挟まれた地形なので方向も間違う事が無い街だ。
観光客も多かった。
志賀直哉の旧宅もあった。

駅前を過ぎ、お風呂屋さんに行った。
駅に近いお風呂屋さんは月曜日が定休日で、ちょっと離れた大栄湯に行った。
こじんまりした、シンプルなお風呂だった。

再び駅に向かう頃には暗くなっていた。

旅行案内所で聞いたら、評判の「尾道ラーメン屋」は1kmくらい離れていると言うので、駅の近くの
ラーメン屋に入った。
海の近くのラーメン屋には「ゲソのから揚げ」があり、またビールで乾杯となった。

お喋りしながら、寄り道しながら、お神酒をいただきながら、地元の人ともお話したり、何時までに着かないといけないというノルマも無く、ほんとにのんびり旧街道を楽しんだ旅だった。

知り合いのランナーさんたちと偶然同じホテルで出会ったり、びっくりする事もあったし。

故障で3ヶ月全く走っていなかったという○野さんも最後まで一緒に行けたし、良い旅でした。

10日旧山陽道・岡山から井原

岡山のホテルは都会的で朝食のバイキングもいろいろあってお腹いっぱい食べて、快適で良かったねぇ~と言い合う私たち女性三人に、平○さんから、「今日泊まるホテル、同じようなのを期待されては困るよ~、三人はタコ部屋だよ~」と釘を刺されつつスタート。

まず、岡山駅を西側に通過する。
冷え込んで寒いけれど、陽が差すと丁度良い感じ。

岡山市街を抜けて川を三本渡る。
そこで少し曲がるところを間違えて行き止まりに。
でも、オープンな感じの小さな畑(家庭菜園くらい)をひょいっと抜けて土手を登ると土手上の道に行けた。
それを見ていた散歩帰りらしき地元の人に、「そこは道ではないよ!」と・・・叱られてしまった。
吉備線を渡ると「吉備津彦神社」があった。
平○さんの作ってくれた地図にはたくさんのチェックポイントがあるけれど、たまには見当たらなかったりすることもあり、「神社」といっても小さな神社かな?と思っていたが、参拝客で賑わう大きな神社だった。
ここにも、備前焼の狛犬があった。
冷えていたからか、朝ご飯食べ過ぎたからか、6kmくらいしか進んでいないのにトイレを借りたくなった。

奥へ行くと、陶器市も催されたり、成人式の青年も居たり、絵馬に願い事を記して祈願する人も大勢で賑わいのある新年の神社の雰囲気を味わえた。

吉備中山の山すその静かな道を進んで行くと、さっきよりさらに広く大きな「吉備津神社」があった。
吉備津彦神社より奥が広く、建物も大きく、人出も多くてびっくりした。

奥へ進むと、「こっち、こっち」とみんなが手招きするので行ってみると、お神酒の大樽があった。
お賽銭を入れて、升に入れてもらって一杯いただいた。

屋台のお店も出てかなりの賑わいだ。
参拝に来る車は渋滞していた。
ウォーキングの会の団体客もゾロゾロ。

吉備津神社から進んで、板倉宿へ。

のどかな集落や畑などなかを進み、矢部へ。
「鯉喰神社」を右手に見て2kmほど進むと山手に国分尼寺跡があり、土塀のあったところなどは、そうと解る程度に残っていた。
公園として整備された遊歩道を進むと、右手丘の上に立派な塔が見え、ごぉ~んと寺の鐘の音が聞こえてきた。
岡山駅から14km「備中国分寺」、11時47分着。

岡山から吉備津神社近くを通って、さらに国分寺、先はどこまで続くのか?自転車専用道路が整備されている。

国分寺を出て道路を渡ると、道の駅のような所があり、私はお腹も空いていたけれど、他の皆さんは朝ご飯たくさん食べてまだお昼ご飯食べなくても良いというので、あと5kmほど先のコンビニのあるところまで行く事にして進む。

やがて車通りに合流し、まっすぐな道路を進む。
伯備線の踏切を渡ったところに待望のコンビニがあった。
なかなか、店内で食事させてもらえるコンビニには行き当たらないけれど、陽も差して何とか・・・ゆっくりしてると寒くなるので、冷えてこないうちに食事をとり、進む。

やっと20km。
13時20分、高梁川を渡り、川辺宿に入る。
ここの橋は古い道路の橋を歩道専用にしたもので、2車線の広さがあった。 もちろん、横には新しい車用の橋がある。

車道から下った所に川辺一里塚跡、その先に本陣跡の碑があった。

左に伊原鉄道伊原線が走っている。 驚いた事に、この鉄道、めったに通らないし、ガーっと音がして見てみると、たったの一両だけで運行している。 何が驚いたかと言うと、ずーっとずーっと続く新しいコンクリートの橋げたの高架の鉄道だったから。
ちょっと見た所では新幹線かな?と思ってしまったほど。
行けども行けどもその高架線路が続いていた。

旧山陽道は川に沿って山すそを進んでいく。

34km矢掛宿、16時くらいに入る。
古い屋敷が良く残され、宿場町として栄えた雰囲気を味わう事が出来る街だった。
本陣跡には碑が立てられていたが、今そこに建っている屋敷も立派だった。
そこに住みながら街並みを残すのも大変そうだなぁ、と思った。

だんだん日が暮れてくる。
赤色灯やヘッドライトなど、せっかく持ってきていたのに昨日は準備する暇が無く気がついたら暗くなってしまい、細い旧街道に車がいっぱいで歩きにくく、ライトを着けないまま行ってしまったので、今日は早めにライトを準備した。
でも、岡山と違い、ずーっと田舎道で地図を見る以外あまり役にたってなかったかも。

暗くなって、七日市宿に入る。
駅前には何か地元の特徴を現すものだろうか?イルミネイションが点き、駅前の道路も広く立派だった。
しかし、食事する所あるのかな?
そこへ、ワンちゃんの散歩の方が通りかかり、尋ねると、幾つか教えてくれたけれど、あまり近くには選べるほども飲食店は無さそう。
コンビニはあったので、いざとなったらコンビニで何か買い込んでホテルで食べてもいいかなぁ?と思っていたけれど、「一平ちゃん」という小さなラーメン屋さんに入ることに。
一品料理もいろいろあったので良かった。

「とりあえず、生ね~」とビールを注文すると、「お一つですね」なんて。
4っつです。と言うとびっくりしたような顔。
この辺りの女性はあまり生ビール注文しないのかなぁ?

通りは広いけれど小さな街、しばらく行き、路地を入った所にホテルがあった。
広さはあるが、古くて廊下などは暖房が入っていなくて寒々としていた。
なんと、そこで私たちと反対のコースを進んできた知り合いのランナーさんたちに偶然遭遇し、みんなでびっくり!!びっくり!!
浅○さんたちのグループは6人くらいだったかな、私たちが明日ゴールとする尾道からやってきたけれど、ゴールした街には宿泊する所が無かったので電車で戻ってきたのだとか。
よりによって、同じ日に同じホテルとは・・・。

平○さんがいっていた通り、私たちは今日は3人部屋。
でも、広い和室でゆっくり休めた。
やたら広いと思ったら、ここは国民宿舎だった建物だとか、仕事で定宿として利用する人も多いのかな?、コインランドリーもあった。

2日目は47km。

1月9日から11日旧山陽道・三石から走り歩き旅

9日
10時過ぎ、三石駅に着く(電車)
土曜日とあって、通勤通学の人も多く、電車は途中まで満席だった。
電車で合流した平○さんが地図を配ってくれたけれど、到着まで地図には目もくれずお喋りしていた。

気温は10度くらい、陽が差しているところはすこーし暖かく感じる程度。
三石駅は駅員さんが居たけれど、小さな静かな駅。
履いていた暖かいパンツをオーバーパンツに替えて、トイレに行って身支度済んでスタートした。

メンバーは4人。
先頭は平○さん。 岡○さん、○野さん、私が続く。
今日の行程は約40km、岡山まで。

三石宿は小さな集落だった。
旧街道らしく、一里塚の跡、本陣跡など、平○さんが用意してくれた地図にはたくさんチェックポイントが記されている。
500mくらいで三石宿を過ぎ、国道を進む。
なだらかな登坂。 八木山で5km。
国道から旧道に入ると通りに民家がちらちらと並ぶ。

11km、片上宿。
宇佐八幡宮には大きな備前焼の狛犬があった。
初めて見た大きな備前焼の赤い狛犬にびっくり。
さすが備前焼の土地、ここから先、いくつかの神社に備前焼の狛犬が据えられていた。

街の中で少しコースアウトしたら片上湾が見えた。
理髪店の横に植えられていた金柑、黄色い色と大きさが美味しそうだったので、ちょっといただいて食べたらとても甘くて美味しかった。
町外れの登り坂を登ったところに「お夏茶屋跡」があった。
ちょっと手前の街道沿いに悲恋の石塚があった。
お夏と藩お抱え医者の悲恋物語があったらしい。
きっと、お夏さんは別嬪さんだったんだろうなぁ・・と思っていたら、その「お夏茶屋跡」には「お夏は美貌の人」だった事などが書かれていた。
峠を下り伊部の街に入る。
ここは備前焼の窯元や焼き物の店が軒を並べる街だった。
急ぐ旅ではないのでウィンドウを覗いたり、お店に入ったり。
リュックを背負っての走り旅ではなかったら買いたくなる物もあったけれど、リュックは余裕無くいっぱいだし、またの機会にとあきらめる。

街道筋から少しそれて山手に入ったところに「史跡天保窯」がある。
その窯の近くで小物など売っていた方がいろいろと備前焼のことなど説明してくれた。
自分の家は代々殿様から備前の窯元として指定された家の一つだとか、先祖の墓には初代の作った壷があるとか、お墓に入ってもいいので、見ておいでとも言ってくださったけれど、そんなにゆっくりもしていられないのでお墓は見ないで街道に戻った。
細い川を渡る。
橋の欄干も、お地蔵様も備前焼。

香登を過ぎ、吉井川沿いを行く。
ドライブインの横に「長船造剣の跡」と書かれた看板があった。
名刀が作られたところなのだろうか。
備前大橋を渡る。 備前大橋の歩道にも備前焼のプレートがはめ込まれていた。

しばらく国道を走り、旧道に入るとのどかな感じでほっとする。
街道には常夜灯が所々に設置されているのが今も残されていて、昔の旅人が日が暮れてから、この灯篭の明かりを頼りに宿場に急いだのだろうな~と思ったりする。

しばらく畑の多いのどかな所をのんびり進む。
香登の集落では公民館が開いていたのでトイレをお借りした。
一里塚もほとんどが「跡」という形だけれど、新しい石や説明板などで残されている。
山陽新幹線がほぼ平行に走っている。
15時30分、岡山市に入る。
マンホールの模様がももとブドウ、消火栓の蓋には桃太郎が消火ホースを持っている可愛いデザイン。

藤井宿で約30km。17時過ぎ。
藤井宿のはずれ辺りに分岐があり、1864年に山陽道を迂回させた新山陽道の分岐だった。
開国に反対する長州征伐に赴く幕府の兵が岡山城下を通過しないようにしたのだとか。

新幹線をくぐり、赤穂線を渡る頃は薄暗くなってきた。
岡山市街に近づくと旧街道筋は広い国道がすぐ近くを平行に走っているためか?抜け道になっているらしく、車の往来が多くなり、歩道も無い細い道は車でいっぱい。
人が通る隙も無いくらいでなかなかスムーズに進まない。
おまけにドライバーのマナーは悪く、こちらが民家の敷地にでも逃げないと当てられそうな感じで迫ってくる。

百間川を渡り、やがてやっと城下町に入っていく。
岡山市の街にはまだ路面電車が走っている。
久しぶりに見る路面電車に懐かしさを感じる。

ホテルの近くで居酒屋さんに入り、1日目の打ち上げ兼夕ご飯。
ビジネスホテルで宿泊。
都会的なビジネスホテルには広いお風呂もあったので脚を充分に伸ばして暖まり満足~。

朝食のバイキングを楽しみに休みます。

2日目に続く。

10/21/2009

10月12日丹後七姫150kmの走り旅

10月12日
皆の寝息を聞きながら知らないうちに熟睡し、トイレでも行こうかなぁ~と起きて廊下へ出たら、他にも廊下に出てくる人が・・・
まぁ、同じ時刻にトイレに行く人が居るのかな?と思っていると、もう起床時刻の2時半でした。

ついでに、部屋の皆の朝ご飯弁当をいただきに行きました。

昨日といい、2日続けて眠った時間が短すぎです。
またどこかで居眠り走りしてしまいそうです。

朝のお弁当は豪華でいつも楽しみです。
全部食べると、小町公園までお腹が空いてもたないので、少し残しておいて、ガラシャ夫人の隠棲地で食べようと思います。

宿の年取ったおかみさんの笑顔に見送られ、3時半にスタートします。

何度も参加して、道はよく覚えています。
熊が出てくることもある地域なので、鈴を着けて、参加者皆で集団走行します。
朝は寒いくらいに涼しいです。

今年は空が晴れて気持ちが良いです。 
三日月がこうこうと空で光っています。

しばらく集落を通り、山道に入ります。
台風や豪雨の被害が多かった年には、山道が崩れて泥んこの中を取ったり、倒木などを避けながら進んだり、大変というより、ワクワクするような夜道行でしたが、今年は被害など無く、道は手入れされて通りやすくなっています。

一つ、山を越えてまた道路に出ます。
昨年より少し速いのか?野中の集落ではまだまだ暗かったです。
野中で公民館のおトイレを借りました。
公民館には鍵がかかってなくて、助かりました。 こんなのどかな集落では鍵なんかかけないんでしょうね。

ガラシャ夫人の隠棲地、味土野まで、人里離れて山に登って行きます。
初めて参加したときはこの道は石がゴロゴロして走りにくくて、歩いて登りましたが、最近は舗装されて走って登れる道になりました。
上の方に進むと傾斜が急になるので頑張って歩きます。

草などもよく刈られているので、ここの登り道でよく見かけたムカゴなどなかなか見つけられません。
そろそろお腹も空いてきて、ムカゴを採取しては食べてガラシャを目指したのを想い出します。
写真

写真

6時20分過ぎ、ガラシャ夫人の隠棲地に到着。
石碑と説明の看板があるだけです。
2日目、一人目のお姫様です。

自分の荷物から捨てるつもりで持って来た古いシューズに履き替えます。 足にビニール袋を履いて、シューズを履き、泥んこになっても足は濡れないようにします。
親分が用意してくれているビニール合羽のズボンを履き、足首をガムテープで絞ってとめます。
準備万端。 さぁ、どんな悪路でもかかってこいexclamation ×2という勇ましさです。 ○村さんは地下足袋です。

ここで恒例の集団写真を撮って、いよいよヤブ漕ぎ、泥んこ、倒木、棘の道に突入です。
しかし・・・きれいに草は刈られ、倒木は数えるほどに取り払われ、数ヶ所泥んこぬかるみはあったものの、停滞することなく通り過ぎました。
林道に出るとどんどん下って五十河の小町公園をめざします。
いいお天気、爽やかな風、のどかな山から山間の田園風景、気持ちがすう~っとします。
熊に襲われず、無事に山越えできてほっとする、この辺りは大好きなところです。
写真

コーチャンが道の脇にたくさん生っている柿を食べていました。
小さな柿の実で、渋そうに見えたけれど、赤く熟れた実を採ってみると指で皮が剥けます。
甘い美味しい柿でした。

地図にも「柿の木、今年はかなりなっている」と書かれています。

集落に入る最初の家の庭にナツメがたくさんなっていました。
これも、地図に記載されています。
丹後七姫マラニックの地図にはコースだけでなく、いろんな事が記載されていて、「ただ走るだけではもったいないですよ、たくさん楽しんでくださいよ」というA田さんのメッセージが暖かく溢れているのです。

写真
8時32分、23km、2日目二人目のお姫様、小野小町との出会いです。
道の左に小町のお墓や石碑があり、右の方には公園の休憩所があります。 大きくは無いけれど、広々したつくりの公園です。

合羽ズボンを脱いで、小川で泥を落とし、並べて干し、シューズを替えます。 いつものような悪路ではなかったけれど、シューズは泥んこまみれになっています。
みんな親分にお任せで、「この靴、捨てておいて下さい」なんてお願いしてしまっていたけれど、今年はビニールに入れてかばんに詰めました。

お腹ペッコペコです。
朝のお弁当を残しておいて、ガラシャ夫人の所で残りを食べると言うのはうまい作戦だったけれど、小町公園ではもうお腹空いて、靴の履き替えももどかしいくらいです。
お腹は餓鬼のようになっているけれど「カップうどん下さ~い」と、すまして言います。
お汁も飲み干さないとスタートさせてくれません。
美味しいおでんやお菓子などもいただくとお腹いっぱい、のどかな風景、柔らかな日差しでなかなか出発したくなくなりますが、ゆっくり行く事に。
シュガーさん、やよいさんと三人でゆっくりスタートです。

竹野川を渡り、小山を越えます。
道路の脇のヤブにはまだムカゴがありました。

峠を越えたところに移動エイドがありました。ありがた~い。
福知山の三人娘(???)さんとスタッフの皆さん。
登ったより長い下りです。 周枳の集落の小さなスーパーでコーヒー牛乳を買い、おトイレを借ります。
写真

そのお店の横には、石明神遺跡というのがあり、岩の上に祠が建てられています。

ここから丹後大宮の駅前を通り、車の往来の多くなる道路をしばらく退屈と闘いながら上常吉の村営百貨店を目指します。
写真

やよいさんと一緒に走ったので、百貨店まで今までに無く短く感じました。10時48分到着。
百貨店というと、デパート??と思いますが、いえいえ、のどかな平屋のこじんまりした何でも屋さんです。
牛乳とコロッケをいただきました。
ここからまた山に登ります。
途中、けっこう暑く、水分もたくさん要るのでペットボトル2本持っていきます。 湧き水も時には涸れているのであてになりません。
A田さんや百貨店の皆さんに見送っていただいてスタートします。
山道に入るまで、ゆっくりだけれど走って登ります。
集落を過ぎ、石碑のあたりからやっと地道の林道になります。
木陰はとても涼しいです。 お天気が良く、涼しいなんて、これまでに一番のコンディションです。

ペットボトルの水も充分足りています。
やがて林道から山道に入ります。
崩れかけて危うい部分もあります。
しばらく登って、磯砂山の1010段の階段の780段のところに着きます。 左に行くと女池です。
写真

右の階段を登ります。 いつもへばってしまう所ですが、涼しいので登りやすかったです。
先に登ったランナーや子供連れの家族とすれ違います。
12時23分、磯砂山頂上に到着。
わたしが最終です。
どんちゃんとやよいさんと三人で記念写真を撮ります。
福知山3人娘さんたち、MICHIKOさん、fullさんが飲み物と和菓子を持って登り、エイドしてくれます。
ここは車では登れないので持って上がらないといけません。
山の頂上でのエイドには特に頭が下がります。
写真

写真

写真

山の頂上からは、少し霞んではいたものの、久美浜や反対側に天橋立、舞鶴の青葉山も見えます。
あんな遠くから走ってきたんだなぁ~。
磯砂山の登りも、涼しいと短く感じました。

下りの方が苦手です。
階段を1010段下って反対側におります。
乙女神社までずーっと下りです。 下りばかり続くのもしんどくなるくらいです。
写真

乙女神社13時26分着。
公園の売店で抹茶ソフトを買って食べながらスタートします。

しばらくはのどかな田圃の風景ですが、R312に出ると、歩道の無い国道を走らないといけません。
昨年はどんちゃんと一緒に親分の車で峰山までワープさせていただいたけれど、今年は時間もあるのでワープ無しで行きました。
でも、歩道の無い国道は楽しくありません。
無いと解っていても、つい、バスの時刻表をのぞいてしまいます。

さあ、ここから地図を手に持って、国道をなるべく避けて通れる道探ししながら行きます。
五箇から東に入ったところに国道と並行する道を見つけ、それを進みます。 五箇の駐在所でトイレをお借りしました。

新治という集落からはバイパスが向こうにあるので、車通りはしずかです。
やがて峰山商店街に着きました。
写真

古い建物の小学校の前を通り、赤坂、石丸、公庄と府道を走ります。
ここは歩道のある部分が増ますが、歩道は片方だけ、右側にあったり左側にあったり。

この辺り、気分が乗らなくなってきました。
飽きてきたと言うか・・・?なんともいえない感覚、身体はしんどくないのに気分が・・・。

きっとお腹が空いていたんだと思います。
峰山の食料品店で何か買って食べようかと、ふと思ったけれど、素通りしてしまったのがいけなかったです。
網野のバラ寿司エイドまで行けば・・・と思っていたのが甘かったですね~。
田圃の向こうに北近畿タンゴ鉄道が見え、鉄橋が見えるとその向こうにfullさんが待っていてくれてました。
バラ寿司をいただいて、お菓子をいただくと急に目が覚めたように元気とやる気がもりもりしてきました。

子午線辺りの道路が崩れて、恐い部分があるから、暗くならないうちに通過した方が良いよと教えてもらい、先を急ぎます。

ホームセンターでトイレを借り、戻った元気でとっとこ走ります。
写真

浅茂川を渡るところで○野さんから電話。
道崩れの様子をくわしく教えてくれました。
今年は崩れているところはどこも無いと思っていたら、最後にありました。
子午線を17時5分に過ぎ、通行止めと書いたカーブを曲がると、「ひゃぁ~」びっくり、はでに崩れていました。
写真

コンクリートの50cmくらいの巾の所を通ります。
数年前の経ヶ岬の崩落に比べると別にどうってことありません。
うんとへまをして、落っこちたとしても数m下は柔らかい土です。
ひょいひょいと渡って、やよいさんと「あのときの経ヶ岬にくらべたら何てこと無かったね~」と話しました。
写真

静御前を祀る静神社、17時16分着。
ワープ無しで明るいうちに七姫さいごの静御前に出会うのは初めてです。
水平線上に雲が厚く、空がピンクに染まっているくらいで、赤い夕焼けは見られませんでした。

薄暗くなっていく中をやよいさんと喋りながら七竜峠越えです。
たった一人で真っ暗な峠越えをした時の事など想い出します。
fullさんにずいぶんお付き合いしていただきました。
次は、峰山や網野までをワープして五色浜をオプションコースにしたいね~と言いながら、塩谷の集落を通過し、小さな峠を越えて行くと、夕日が浦の旅館街の灯りが見えます。
もう下ったらすぐにゴールです。
頭は浜でいただくビールやお刺身でいっぱい。

浜ではfullさんとA田さんが迎えてくれて、ゴールテープは自分で持って写真とってくれました。

先にゴールした人たちはすでに温泉にいっってしまっていつになく寂しいゴール宴会です。

今年のお風呂は浜から1,2kmほど先の日帰り温泉です。
広々とした敷地を贅沢に使った設備でいいお湯をいただきました。
帰りはやよいさんと二人、A田さんに西舞鶴まで送っていただきました。
最終電車に乗って、三回乗り継ぎます。
眠ってしまうとアウトなので、乗り継ぎの時刻前に起きるようにタイマーをかけながら帰りました。

A田さん、fullさん、2日間ありがとうございました。
遠くからMICHIKOさん御夫婦、masaさん、momiさん、お世話ありがとうございました。
今年も丹後半島満喫し、楽しくとても豊かな気持ちになりました。

一日目、約13kmバスでワープし、オプションで3kmプラス。
2日目はワープ無し。
150kmの走り旅でした。

04/17/2009

萩往還の案内が届いたよ

今年の地図はカラーで見やすいですね。
これなら寝ぼけて間違えても地図を確認しやすいね。
って、もう何回目やねん。
はい、眠って走っている部分や、他の人に付いて行った部分意外、大丈夫です。
でも、チェックポイントとか変わっています。

昨年も思ったけれど、思い違いしている部分もけっこうあったし。
やっぱり地図は必要です。
わかりやすい地図はありがたい。

風邪がなかなか良くならない・・・昨年は気管支炎までいってしまい声が出なかった・・・
合うシューズが、へたってしまい、もうどこにも売ってない・・・・
お腹の調子など・・・
不安な事もいっぱいあるけれど、
楽しみな気持ちが大きい 遠足の前の気分、どきどきワクワク。
今から興奮しています。

12/16/2008

伊勢本街道・日向ぼっこランで田丸城跡へ

飼坂峠を下って町屋の集落を過ぎ、立川沿いに進んでいるうちに、先を行くあんころちゃんと松○さんがひょいと曲がった所から一人になりました。
地図を辿って、自分のいる位置が大体この辺りだなとわかるまで、じっくり地図とにらめっこしながら、ほぼ一本道だったので電柱に記された地名なども見ながら進みました。

峠という廃村を通り過ぎます。
建物はあるけれど、廃村になったと言う事です。 でも、何となく生活の気配がしたけれど・・・。

すぐに、車道から左へそれて、下っていく道があり、伊勢本街道の難所の一つだった櫃坂です。
大阪方面からは、ひたすら山道の下りになります。
石が落ち葉に隠れて足元があまり良いとは言えないけれど、今まで越えてきた峠に比べるとかなり走りやすく、駆け下りる事が出来ます。

やっとここで快適なトレイルランが出来ました。

民家がぽつぽつ見え出してやがて峠の上で分かれた車道と合流します。
合流する「坂ノ下」(そのまんま地名です)に小さなお店があり、自販機も備わっていたので、お茶などを買いました。朝8時くらいだったかな?
日が照って暖かくなってきました。
オーバーパンツやウィンドブレーカーを脱いだり仕舞ったりしました。
もう峠越えはありません。
帰りは電車なので楽チンですが、帰りも峠を越えた昔の人たちはさぞ大変だったことでしょう。
ここが難所だったはず。

ここからは低い山が近くに見えるけれど、越えなければいけないような峠は無く広い感じがします。
仁柿川を右に見ながら国道を走ります。 時々、脇道に入ります。
国道をそのまま行ってもいいけれど、コースどおりに行きました。

坂ノ下からずーっとトイレに行きたかったけれど、お借りできるようなところが無いので我慢して行きます。

長瀬、上組、下組、六番組を過ぎて車もたくさん通る国道らしい雰囲気、山から下りてきた!という気分になります。

仁柿川はやがて櫛田川に合流します。 街道の道も、櫛田川沿いの広い道に合流します。
コンビニまでまだ2kmくらいあるけど、なんとかそこまで・・・と思っていたらガソリンスタンドがありました。
店番の方にお願いしてトイレをお借りできました。
「トイレは中です」と言われて入ると、ワンコが「おめぇ、何しに来た!?」って感じで長いリードをいっぱいに詰め寄ってきて吠えます。
「怪しい者やないよ~、トイレ貸して~」と言っても通じないみたい、噛み付きそうな感じです。
トイレをあきらめようかと思っていたら、接客終わった店員さんが犬を押さえに来てくれて、ほっとしました。

すっきりして櫛田川沿いの国道を東へ。
小片野町のコンビニで一人腹ごしらえです。
何食べようかなぁ~・・一人ぼっちでも、お日様サンサンだし、ひなたぼっこ気分で楽しくなります。
暗峠登る前のコンビニで越○さんがすっごいスピードで天丼弁当を美味しそうに食べていたのを思い出し、私もあのスピードで・・と真似てみることにしました。
途中で胸に詰まってしまって、とんでもないことでした。
速飯できないと不利だなぁ~、今後の課題かなぁ?とか思いながらコンビニを出て茅原町、津留と進みます。
コンビニのところで櫛田川を離れたのに、また櫛田川を渡ります。
櫛田川はかなり蛇行しているようです。
川の中に計石というのがあります。
重ねられた上の石より上に水量が増したら川止めになったと言う事です。
多気町に入ります。
伊勢自動車道をくぐり、鍬形と言う集落で自販機で目覚まし用にドリンクを買っていると、その自販機の前の家の御主人が出てきてしばらくお話しました。
どこからスタートしたのか?聞かれたので、話すと、「おっそろし~!!」とびっくりされたので、「私は一番ビリです。 もっとおそろしげな化け物のようなランナーは早朝ここを通ったはずですよ~」と言うと、またまた驚かれていました。
内宮まで行くと打ち上げに間に合わないから適当に電車に乗ろうと思います、と言うと、「多気駅」が良いよと教えてくれました。

櫛田川を左に見てのんびり走ります。
高校生くらいの人たちと挨拶しながら行きます。
日曜日朝からユニフォームみたいなお揃いのウェア着て、何かの試合にでも行くのかな?

仏足石というのが道の傍にひっそりとありました。
石に足型が彫られています。 旅の無事を祈ってお供えなどしたのかな?と思いました。

辺りはだんだん山が遠くなり、広い感じになります。
いくつもの常夜灯が街道にありますが、一番背の高い常夜灯「四疋田の常夜灯」があります。
後で地図に挿入された文を読むと、紀州藩田丸領四疋田の庄屋さんの遺命で葬儀費用を割いて建てられたそうです。
5,5mの高さです。

道はしばらく真っ直ぐです。
やがて相可の街に入ります。 熊野街道と伊勢本街道の交差点で、昔から人の往来や宿場などとして栄えた所です。
松坂商人の先駆けとなる豪商がいて、櫛田川の水運もあり、かなり栄えていたそうです。
街道の交差するところに餅屋さんがあり、梅○さんが一人一つずつ食べさせてもらえるように手配しておいてくれました。
メンバー表が出され、それぞれ時刻が書かれています。
名松線奥津駅で1時間半も先に行ったという人たち、私より55分前の時刻です。  どこかオプションコースでも行ってたのかな?
酒屋にでも寄り道してたのかな?と思いながら先へ行きます。

眠かったので、早いとこ電車に乗っちゃえ・・と思っていましたが、御餅も食べて元気になり、もう少し先へ行ってみることにしました。
道路ばかりですが、街道筋には史跡も多く残されているので、走って通るにはもったいないくらいです。
競争じゃ無し、日も高いし、のんびりのんびり一人旅を楽しみます。

西池上と言う集落に、昔の薬屋さんの看板が民家の前に残されていました。 なかなか、大きなものです、縦197cm、巾60cm。
この村林家、薬だけでなく、江戸の町でも商売で大富豪となり、千両箱で吉原遊郭貸切にしたりと、そうとう豪遊したそうです。
遊びほうけたのは4代目。 看板が保存されているのはその村林家ではないみたいです。

多気駅の南で参宮線をわたり、先へ行きます。
ため池があちらこちらにあります。
しばらく、集落などから離れ、植林の中などを行きます。

上田辺、下田辺と参宮線の近くを走ります。
やがて、田丸城跡に来ました。
まだ2時くらいですが、田丸城跡や田丸の街並みなどのんびり見て歩き、田丸駅で電車に乗ることにしました。
電車はちょっとの差で出てしまい、30分以上待ちますが、次の駅は街道から離れてしまうし、伊勢まで行くと、何とか打ち上げ会には間に合ってもお風呂に入れなくなるので、電車を待つ事にしました。

やっと来た電車にはなんと・・・ずーっと先に行ってしまっていたと思っていた越○さんや、梅○さんたちがお風呂を相可で入って、あとは宴会だけだ!と乗っているのです。

相可の御餅やさんから、熊野街道の方へ行ったところにお風呂があるそうで、風呂の後は送迎バスで駅まで送ってもらえるそうで・・・・やられた、と言う感じです。
まいりました。

伊勢駅から5分のところに銭湯があり、急いでお風呂を済ませ、打ち上げ会に参入しました。

帰りは近鉄電車で熟睡、メンバーの一人に起こしてもらえなかったら、上本町まで行ってただけでは済まなかったかもしれませんね。

距離は150kmくらいです。

12/13/2008

伊勢本街道・県境越えて三重県へ

鞍取峠は難なく越えました。
土屋原という集落を過ぎ、眠くて眠くて、何とか前の二人に着いていくのが精一杯で、地図を見る余裕もありません。

空には星が綺麗に煌めいて、時々流れ星が見えます。
「あっ、流れ星!」なんて言ってしまうので、お願いしている暇がありません。
次に見つけたら、願かけるぞ~と思いますが、空ばかり見ているわけにも行かず、真面目に走ります。

辺りは真っ暗なのでどんな風景か解らないのが残念ですが、きっと山深い所なのでしょう。
旅籠などが軒を連ねていたような集落をいくつも通り過ぎます。

桜峠、牛峠を越えます。
神末の町を過ぎて傾斜を登っていくと奈良県と三重県の県境を越します。
杉平、払戸、石名原と、国道を通ったり、集落の道を通ったりしますが、車はほとんど通らなかったような気がします。

どこかで完ぺきに眠ってしまい、気が付いたら農家の果樹園の中で倒れていました。
寒くて寒くて、ウィンドブレーカーのフードもすっぽり被っていたのでどこも怪我しなくて良かったです。
しかし、前を行く二人の灯りが全く見えません。
自分の位置がわからず、あせりましたが、きょろきょろして探すと、左下に道が見えました。
きっとその道を走っているはずだったんだろうと思い、とにかく、どっちから来たのかもあやふやだったけれど、行ってみることにしました。
なかなか二人は見えません。
方向間違えたかなぁ?と思っていると、先の方でライトを振って合図してくれたのが見えて、ほっとしました。

いっとき、目が覚めていましたが、またまた眠くなります。
同じ失敗をして怪我でもしたら大迷惑かけるし・・必死で目を覚まそうと飴をなめたり、いろいろしながら進みました。

やがて、伊勢奥津駅に到着。
真っ暗な駅舎は扉が閉まるようになっていて中で梅○さんが鍋に大きな昆布を入れて湯豆腐を作ってくれました。
湯気と、バーナーの火で小さな駅舎の中は暖房したみたいに暖かくて、座布団までありました。
出汁の効いた湯豆腐をいただいて、その美味しい出汁に持ってきたおにぎりを入れて雑炊にして食べました。

やはり、食べると力が出てきます。

でも、眠いのはなかなか覚めません。

ちょっとだけ眠らせて~。
と言う私の腕を引っ張って、あんころちゃん「さあ、YOKKOちゃん、行くよ!」と叱咤激励してくれます。
10分くらい眠らせてもらえるかと思っていたので、しぶしぶのそのそ出発します。
梅○さんはこれから徹夜のまま、自宅に帰って用事を済ませ、また夕方伊勢に来てくれるそうです。
私のおかげで梅○さんも眠る時間無くなっちゃったね、ごめんなさい。

ここから、首切り地蔵、腰切地蔵を経て、飼坂峠を越えます。
だんだん夜が明けて寒さもぐっと冷え込む感じがしましたが、今度はあんころちゃんが眠くなったようで、蛇行しています。
道幅はそこそこ広い道ですが、ガードが無く、落っこちるとかなりの怪我をしそうなところばかりです。
助けるのもロープなどが無いと助けられないくらいです。
緊張しながら登って行きます。
上多気の辺りではすっかり明るくなったので、松○さんとあんころちゃんには先に行ってくださいねと言い、一人旅になりました。

ここまで、しばらく地図を見てなかったので、一人になってから、「ありゃりゃ、ここはどこ??」って感じでしばらく地図調べです。

12/12/2008

伊勢本街道・夜中の峠越え

石割峠を下って、田中元上田口と言う集落にある専明寺のお堂の前で一休みします。
山の登りでは汗ばむくらいですが、下りではいくら動いていても身体が冷えて、だんだん寒くなります。
リュックからオーバーパンツやダウンも出して着用します。
帽子は、夕方からキャップをニット帽に、手袋は薄いのを2枚重ねます。
あんころちゃんは「えっ?ダウンまで着るの?」とびっくりしていましたが、多分、すぐに暑くなって脱ぐと思いながらも、まずは身体を暖めなくては。(やはり、走り出して間もなく、ダウンは脱ぎました)

いきなり、人の声がして、ぞろぞろと先行していたはずの集団が境内に入ってきました。
どうやら道を間違えたようです。
みんな一緒にスタートしましたが、皆さんあっという間にまた先に行って見えなくなってしまいました。

黒岩川に沿って進み、これから山粕峠に登ります。
石割峠ほどではないけれど登りは汗ばむくらいです。
岩や石が落ち葉に隠れているし、岩には苔が生えているので注意が要ります。
見た目は落ち葉に覆われたふかふかの山道のようですが石や岩が多いので硬い感じです。 疲れた脚にこたえます。
途中で木の橋が壊れて崩れていたので、倒木と勘違いし、道が無くなってしまった様に見えました。 明るいと迷わなかったでしょうけれど、いくら性能の良いライトと言っても廻りも真っ暗だし、全体が見えないのでしばらく行ったり来たりして探りました。

松○さんの記憶は正確でしたが、ここでちょっと停滞してしまいました。
「そうだ、思い出した!!これは木の橋が落ちているんだ。 渡って先へ行けば良いんだよ」と松○さん。
下っていくと、また間違えそうなところに出ました。
なんとかクリアし、山を下りました。
綺麗な新しい道路に下り、あんころちゃんがトットコトットコ先へ行きます。私も遅れないようにと後を上って行きます。
新しそうなトンネルが見えました。
「コースにこんなトンネルなんてあるの??」と思っていたら、松○さんが間違いに気づいて呼び止めてくれました。
山粕峠からの下りで、どこかで違う道に入ってしまったようで、道路に降り立つ方向が違っていたようです。

道路を下って行き、山粕川ほとりの山粕と言う集落の小さな休憩所(トイレもあります)で梅○さんがエイドをしてくださいました。
アルファ米の炊き込みご飯と熱いお茶がとても美味しくて身体も温まりました。
休憩所の後ろから山道を登って鞍取峠へ。
鞍取峠は標高も600mくらい、登り始めからの標高差も石割峠ほども無いのでわりと楽に越せました。

峠を三つ越すと、緊張が少し緩んだのか?眠くて眠くてしょうがないほどになりました。
時々、瞬間的に眠ってしまっています。
ちゃんと走っているはずなのに、進みません。
同じくらいの歩調で進もうとしているのに、どんどんあんころちゃんと松○さんと離れてしまい、分岐で待ってもらう事になり、申し訳なく思います。

つづく・・・

12/11/2008

12月6日~7日伊勢本街道マラニック

9時半、
玉造稲荷神社の境内に伊勢までの道筋の看板が立てられています。
ここで冊子になった地図が買えます。
梅○さんが用意してくださった地図と両方見ながら進みます。
稲荷神社の地図には道標や灯篭などの史跡の位置が赤○で記されています。

あんころちゃんに「よろしくね~」と言いつつ、どんどんパワーアップしてきたあんころちゃんに着いて行く自信無く、「まぁ、どうにかなるかな~、ここまで来たらやるっきゃない!」と思いながら行きます。

思ったより皆さんゆっくりのペースで全体がばらけず進んでいきます。

都会の中に残された古い道標などを見ながら地図を見比べながら、国道を走ったり住宅の間の路地に入ったり、今里、布施、高井田、松原・・・暗奈良街道を東へ。

松原のコンビニ(お酒販売している方)でお昼休憩です。
皆さんいろいろ買い込んでガッツリ食べます。 しかも、速い。
私が腰を下ろして一つ目のおにぎりの包装を解いた頃、もう半分くらい食べ終わっています。
ラーメン食べた人も、いつの間に??と言いたくなるほど速飯です。
トイレから出てきたときは、もうほとんどの人がスタートし始めていました。

置いて行かれない様に着いて行きます。
今年は越○さんが先頭でゆっくり進んでくれて助かる~、とあんころちゃんが言います。 昨年は皆さんのペースが速くて着いていくのに大変だったそうです。

松原から道は坂道になり、平岡公園からは暗峠の名前の由来・・「鞍がひっくり返りそうなくらい急な峠」通り、歩いてもヘトヘトするくらいの急坂登りです。

山はまだ紅葉が綺麗です。
車が一台通れる位の幅だけど、国道の表示があります。
時々、車が登ってきますが、どの車も排気が焼けた匂いがします。

切通しの明るい峠、暗峠に着くと、他のグループのランナー達が茶店で(なぜか皆さん同じ)カレーうどんを食べて休憩していました。
率いるのは関スパ主催者の坂○さん。
御挨拶して、早々に下ります。

下りは広い道路になっています。 数年前の夜走りで、桜井から暗峠を越えて玉造へ行った時、夜中に迷った所は今も山の中の道と言う雰囲気です。
あの時、夜中のドライブの車の前に立ち、車を止めてもらって、道をきいたのですが、後で考えたら、車に乗っていた若い子達はさぞ怖かったでしょうね~。

生駒山からは低い丘に見えた矢田丘陵を越えます。
低い丘という感じで軽く考えていたらなかなかしんどかったです。

丘からは今越えてきた生駒山が紅葉に色付いて美しくたおやかに見えました。

追分本陣、富雄川、阪奈道路を過ぎ、近鉄橿原線をまたぐと奈良駅を過ぎて猿沢の池まで道は真っ直ぐです。

猿沢の池でふきこさんが「これから夜中の山越えなんて考えられないわ~」と言う言葉とだんな様を残して帰られました。
この土日は寒波がやってきていて、いきなりの寒さで、峠越えのコースよりもその夜中の寒さの方が厳しそうでした。

猿沢の池のトイレで寄り道した間に、女性4人残して皆さん先に行ってしまい、もう姿はどこにも見えません。

風情のある奈良町を通り過ぎ、ここから上ツ道、まっすぐ桜井に向かいます。
山の裾には山之辺の道、上ツ道、中ツ道・・と何本も平行に街道があります。
道はJR桜井線と平行に集落や田畑の中を進みます。

玉造稲荷で買った地図には道標の位置が道の左なのか右なのかの位置も正確に記されているので助かります。

名阪国道をくぐり、天理の街に入って行きます。
道は曲がったりしますがほぼ桜井線の東を真っ直ぐ南下します。
夕焼けが美しく、東の山の紅葉がいっそう美しく見えます。

佐保庄町にあると思っていたコンビニが閉店しています。
ショック~。

巻向でJRと交差します。
もう暗くなってしまいました。
6時前なのに、夜のような感じがします。
桜井の町の中を通ります。
街道筋は古い家並みが続きます。
大神神社の大きな鳥居が見えました。
金谷の辺りで車通りから路地に入ろうとしたら、車がクラクションを鳴らして横付けしてきました。
用事のために途中からサポートにまわってくれた梅○さんです。
なんだか、元気が出てきます。

初瀬街道を初瀬川に沿って東へ進みます。
国道からわき道に入る所にコンビニがあり、先に行っていた人達がちょうど休憩終わって出て行こうとしていました。
あんころちゃんと二人でしばらく走っていたので、先の人達がもうずーっと先に行ってしまっていたような感覚になっていましたが、そんなに離れていなかったんだなぁ・・と、ちょっとほっとしました。

ここから松○さんが「ここからは、まかしとき!」という頼りになる道案内をしてくれる事になり、三人で夜が明けるまでお付き合いしてくれました。
やがて初瀬。
長谷寺(59km)のある街はさすがに商店街も立派です。
街角に古い道標、「左いせみち」と書いています。
下化粧道の下で「僕に任しとき~」と言っていた道案内がちょっと危うく反対に行きかけました。 
何度も通った道だからもう僕にはここからは地図が要らない・・・という頼りになる言葉を信じ、しかしたまに「あれれぇ~??」という事態もあり、でもやっぱり、とにかく松○さん頼りです。

榛原で撤退かも?と思っていたけれど、松○さんと、あんころちゃんのおかげで伊勢本街道に突入できます。

やがて近鉄大阪線に沿って道路を登って行きます。
だらだらいつまでも続きそうなしんどい道です。

登りきったところ、西峠にコンビニがありました。
先行の人たちにまた出会います。
梅○さんは駐車場で熱燗を用意しておいてくれました。
日が沈んでからは、放射冷却でどんどん気温が下がっているようで、走っても身体が冷えていくのが解ります。
ここでいただいたお酒が後でじわ~っと身体を暖めてくれました。

榛原からは墨坂神社の灯明の風情のある橋を渡り、宇田川から支流の内牧川に沿って南東に進みます。
自明からしばらく街道は国道に沿ってヤブ漕ぎの道を進みます。
高井からいよいよ山越えが始まります。

歩き走りやすい舗装された道が続きます。
赤埴の千本杉は暗闇の中、三人のライトを照らして見ました。
一つの根元から16本もの杉の大木が育って巨木となっています。

諸木野から石割峠に向かいます。
岩がゴロゴロした歩きにくい道が続きます。
落ち葉か覆っているので、京都トレイルのような軟らかい道に見えますが、硬い岩や石が多く、疲れてきた足の裏にこたえるし、足首を捻りそうになります。

なかなか厳しい道です。
石割峠到着は21時40分くらいだったと思います。
標高そんなに高くないと思っていたけれど、地図で見ると700m近くありそうです。
下りも岩がゴロゴロしているし、ライトの灯りで見る道は不案内で、飛ばして下るわけに行かず、注意深く下ります。
ここで怪我したら、迷惑かけるどころじゃありません。

厳しい道だけれど、晴れた空には満天の星が煌めいて感動します。
寒波でさらに寒く、道は凍ってザクザクいいます。
しかし、ご褒美もいっぱいです。

つづく

February 2019
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